自分という冷蔵庫(頭)に材料(選択肢)が詰まっているか。

 

いきなりですが、こんな例え話があります。

 

「君が今、将来を選べないのはね、自分の頭の中に選択肢が入っていないからなんだよ。ほら、もし家の冷蔵庫の中に材料がなかったらメニューを知っていても何も料理を作れないでしょ?君はその状態なんだよ。だから、自分で経験して、いつでも再現できる材料を集めなきゃダメなの。その再現できる生き方の中から初めて将来を選んでいくんだから。」

 

さて、皆さんはこれを読んでどう感じたでしょうか。

僕はこれを言われてハッとしました。

たしかにいろんな生き方をいろんな人に聞いていました。

でもそれは生き方というメニューを集めていただけで、自分の冷蔵庫には何も材料が集まっていなかったのです。

油断するとメニュー集めをしてしまう

人って弱いです。ものすごく弱い。

それにめんどくさがりです。

だから、材料を集めているつもりがいつの間にかメニューを集めてしまっていることが多いです。

 

今振り返ると、最近の僕もそうだなぁと思ってます。

自分で発信して、考えて、行動して、材料を集めているつもりになっても、それは気づいたらメニューだったんです。

ここ最近でいろんな生き方に触れてきました。

  • フリーランス
  • ブロガー
  • ライター
  • YouTuber
  • 起業家
  • サラリーマン
  • 複業家
  • 投資家

こういう人たちに直接的にでも間接的にも触れていると、自分の中でこの生き方を選べる気がしていました。

でも、実際に手を動かして、材料として取り入れないとそれはメニュー止まりだったんです。

材料はいつでも使えなきゃ、材料ではない

材料とメニューの決定的な違いは、いつでも使えるかどうかだと思うんです。

 

例えば、ブロガーという生き方を知っていても、自分がそれをすぐに実践できなければ、所詮はメニューです。

自分がブロガーとして生きることができなければ材料を手に入れたことになりません。

 

そう考えると、やっぱり材料を集めるためには自分で行動して、経験しないとダメなんだなぁとつくづく思います。

 

自分への自戒も込めて、常に材料を集め続けよう

メニュー集めってとっても簡単です。

ちょっとTwitterやネットを探せば、その生き方を発信してる人がたくさんいるから。

 

でも、材料を集めようと思うと大変です。

その人たちをヒントに、自分で考えて行動しないといけないんです。

そして、ある程度までいかないと材料が手に入らない。

 

この材料とメニューの境が曖昧になってしまうと、結局何者にもなれずじまいです。

だから、メニュー集めではなく、材料集めをし続けましょう。

自戒を込めて、このブログに残しておきます。

 









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