高校教員志望だった僕が急に就活やり始めて苦労した話

ワタナビ
どうもワタナビです。

 

改めましてワタナビです。どうしてこんな記事を書いているのかというと、私は新卒で入社した人材系企業で、就活の講師を務めていました。

 

すると色んな学生さんにお会いします。「何が不安かわからない」「自分がどんな仕事に就きたいのかわからない」「そもそもやりたい仕事がない」などなど。自己PRが書けないとか、インターンシップの選び方がわからないとか、そういった次元を通り越して、「何したら良いのか全然わからん」っていう学生さん、実は結構多いんですよね。

 

だからそんな就活生にはなるべくリアルで具体的で、ちょっと苦労した自分の実体験を話していました。多くの就活生が、堅苦しい企業アンケートや学生調査資料よりも、自分の実体験に食いつくように目を皿にして頷きながら聴いてくれていたことを覚えています。

 

なので、このサイトを今、ご覧のあなた。就活準備をしたいけど、何から手をつけたら良いのかわからない・・・とか、そもそも自分が何やったら良いのかわからない・・・そんな悩みをもし持っているならば、参考になるかわからないけれど、ちょっとした読み物として、当時の僕の就活の話を聞いてほしい。

 

そう思ったのが、本記事執筆のきっかけ。この記事が就職活動に迷う君の役に立てたら幸いです。

 

「実は高校の先生になりたいんだよね」

 

先生になりたい。というか、先生になる。

 

大学1年生から3年生の終わり頃まで、ずっとこんなことを言ってました。

 

「高校教員になって、多くの高校生に進路選択の可能性を広げたい」と何度口にしたことか。僕が所属する「経済学部 経営学科」には、教員免許を取れる制度こそありましたが、ほとんど誰もそれをやろうとはしませんでした。

 

なぜなら、履修すべき単位数がとんでもないことになるから。

 

卒業までにあれやこれや128単位取れば卒業が認められますが、教員志望だった僕には全く関係のない話。他学部から教員免許を取るのは正直かなり面倒くさい方法でした。(情報共有する友達もできにくいしね)それでも僕の進路は高校教員一本。裏を返せばそれしか見えていなかったのです。

 

お前さぁ、なんでそんなに高校教員にこだわるの?

 

動機はありました。

 

「生き方や進路に悩む若者に選択肢を提供し続けたい」

 

これが私の原動力でした。(自分の進むべき方向は「人々の選択に影響を与える仕事」だと、当時からなんとなくイメージしていたんです。

 

だから友人と進路の話になるたびに、目を輝かせて「おれは教員になって高校生の進路を拓くんだ!」と熱く語っていました。そんな日々を過ごし、気づけばあっという間に大学3年生の中頃に。教員になりたいという熱意はまだ胸の奥底で燃えていました。

 

しかし、そこでふと疑問にぶつかりました。

 

「あれ?・・・なんで先生になりたいんだっけ」

 

自分のやりたい仕事がわからなくなった

 

なぜ教員志望なのか。なんで先生じゃなきゃダメなのか。

 

・・・なぜ?と言われても、明確な理由がわからなくなってきたんです。教育業界や現在の教育体制、学校教育が抱える課題。知れば知るほど、自分の進路がわからなくなりました。教員の働き方について理解が深まれば深まるほどに、自分の理想とする生き方とのギャップに気づき始めます。

 

「あぁ・・・、自分の目指す「教員」は、もしかしたらただの“憧れ”だったのかもしれない・・・」

 

正直ショックでした。ずっと目指していた道がいきなり閉ざされた気分でした。目の前が真っ暗になるとはまさにこのこと。周りの友人はインターンシップや公務員試験対策をしている中、自分は特に何も準備していませんでした。

 

教員志望でなくなると同時に、今の自分が目指したいのはもっと別の道かもしれないとも思いました。そして、この時から、”いつか必ず自分なりの教育を貫き、若者たちに力を与えたい”という漠然とした目標も生まれました。本当に漠然としてました。

 

とはいえ、自分は社会に出て何がしたいのか全くわからないまま、就職活動の時期はやってきました。

 

「なんだよ、シューカツって。気持ち悪・・・。」

 

広報活動解禁日、年間で最も多くの学生が企業にエントリーをする日です。私もその大きな波の中にいました。これまで必死に学んできた「教員になるための知識と熱意」、これを一旦引き出しにしまい、新たなスタートを切った瞬間でもあります。

 

「〇〇の企業、●●メッセで説明会やるってよ!」

「ヤッタァ、あの企業の人事に顔覚えられた!」

「エントリーシート書かないとヤバくね?」

 

誰もが口を揃えて「シューカツ」の話を口にします。まるで自分の進路選択が間違っていないことを口に出し、安心感を覚えているように見えました。何も原動力がない自分は焦り、不安になり、就職活動の話題を避けるようにもなりました。そんな中で、自分は何をしたいのかが定まらず、なんとなくお金を稼げそうな企業だったり、なんとなく有名な企業に、なんとなーくエントリーしていました。

 

就職活動という特殊な時期において、友人の進捗が気になったり、些細な情報を鵜呑みにしてしまったり、人と比べてしまったり。まさに「就活あるある」に悩まされる日々が続きました。

 

「なんだよ、シューカツって・・・。」

 

私はこの環境が気持ち悪くて仕方がなかった。誰もが自分の現状を誰かに聞いてもらうことで安心感を得ている。口先では同調しているようで、内心嫉妬や焦りを覚える。まるで先着順の目玉商品を取り合うような必死さ。すごく怖かったんです。(余談ですが数年後、朝井リョウ著「何者」が大ブレイクします。当時の感覚はあんな感じでした。)

 

そして、少しずつ友人と距離を置いてしまったり、ぶつかってしまうことも多々ありました。今思えば、本当にバカらしいことだなと思います。でも、この感情があったからこそ、就職活動に不安を感じる就活生たちの気持ちが、今では少しわかります。

 

彼ら彼女らの不安そうな表情を見るたびに、当時の僕を思い出します。

 

内定を持っていない自分が嫌になる

 

もっと自由に柔軟に、自分の進路を考えたらよかった。今になってようやく思います。

 

壁を乗り越えることも一つの正解だし、違う道を選ぶことも一つの正解。時には一休みしても、逃げてもいい。でもいつかは前に進もう。自分の信じる道を進んだらいい。

 

こんなことを学生たちに話しますが、当時の自分が最も聞きたかった言葉なのかもしれません。当時の僕は、「壁は乗り越えなくちゃ!」という感情しかなかった。だから、必要以上に焦ったのかもしれません。

 

こうして二ヶ月、三ヶ月と時は過ぎ、仲の良い友人には続々と内々定が出始めます。

 

「あいつ鉄道の会社だってよ!!」

「あいつは大手の金融機関!」

「あの子内定5つももらったって知ってた?」

 

これが本当にキツイんですよね。内定を持っていない自分にとっては死の呪文でした。アバダケダブラより強力です。

 

聞きたくなくても耳に入ってくる情報たち。「他人は他人、自分は自分」そう思えるようなメンタリティは当時の私は持ち合わせていませんでした。もうとにかく焦ります。焦りまくります。それでめちゃくちゃ不安になるわけです。まさに負の連鎖。

 

当時の選考状況について

 

さて、かくいう私の就活状況は?

 

結局就活解禁後もやりたい仕事を見出せず、業界も絞らず様々な企業を受けていました。なんとなく志望した金融業界。地銀から信用金庫、証券会社まで。教育サービスも受けましたし、地元の人気企業(ガス・リフォーム・新聞社)は一通り受けました。

 

たいして興味がないメーカーやITベンチャーなど。とりあえずナビサイトから手当たり次第にエントリー。これといってそこで何がやりたいのかも見つからないまま。

 

「はぁ、これからどうなってしまうんだろう。何もやりたいことが見つからない。」

 

案の定、就職活動は見事に大敗。序盤では9割の企業から不採用通知。2日に1通はお祈りメールが届きました。今日もダメ、昨日もダメ、先週も2件ダメ・・・。僕のもやしメンタルは限界を迎えていました。

 

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